声と言葉とワーキングマザー

司会の仕事、演劇、ITベンチャー勤務で学んだこと、WM生活を発信します。

沿道から「がんばれー!」と言われたくないランナーもいる

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わたしの夫はマラソンが趣味で、年に数回は大会に参加してフルマラソンを完走しています。毎日昼休みに会社周辺を5kmも走るほど好きらしく、タイムもなかなかのものです。

先日、彼がフルマラソン後に帰宅したとき、ぽつりとこぼした一言が印象的でした。

 

「いっつも30kmあたりでめちゃめちゃ『がんばれー!』って言われるんだけど、あれほんといやなんだよね~」

 

…えええええ?!

 

マラソン大会の応援や、コース沿道を通りかかったことはありますか?沿道には大勢の方が集まり、知り合いでもそうでなくても、42.195kmという長距離に立ち向かうランナーたちに惜しみない声援を送ります。

フルマラソンを何度も完走している選手であっても、後半30㎞地点ころからはぐっとつらくなるそうです。夫も、ラップタイムを見ていると(ネットで実況してくれるサービスがある)、30㎞以降はペースが1.5倍くらい遅くなっていることが多いです。

沿道から声援を送る方はランナー達が後半つらいことを承知で、いっそう大きな声で「がんばれー!」と言っているのだと思います。それを、もちろん感謝はしているのでしょうけれど、正直なところ「ほんといやなんだよね~」なんだそうです…。

理由を聞いてみたところ、そのあたりから足がつったりして痛みがあり、本当につらくて、リタイアしようかと思うほどなんだそうです。そこに大勢の知らない人から「がんばれー!」と言われても、「もうがんばって30kmも走ってきたよ!!!」という気持ちなんだとか。

たしかに…。ごもっともです。

とはいえ、それじゃあどうやって応援したらいいんでしょう?夫に、なんて言ってもらえたら嬉しいのか聞いてみました。すると、

「疲れたら休みな~!とか、来年もあるんだから!とかかな」

ですって。そんな応援あり?!

もちろん「がんばれー!」で奮起する方も多いでしょう。でも「がんばれ」と言われて「もうがんばってるよ」と思ってしまう気持ちもわかります。応援するって意外と難しいものだなぁと思いました。

 

この会話をしていて思い出した、愛読書の一説があります。敬愛する山田ズーニーさんの著作、『あなたの話はなぜ「通じない」のか』、『話すチカラをつくる本』の、励まし方について述べられている部分です。

この2冊は共通する内容が多いのですが、より簡単にまとめられた『話すチカラをつくる本』のほうから引用させていただきます。

正論が通じない理由のひとつは、正論を言うとき、自分の目線は、必ず相手より高くなっているからです。
相手は、正しいことだからこそ傷つき、でも正しいから拒否もできず、かといって、すぐに自分を変えることもできず、「わかっているのにどうして自分は変われないんだ」と苦しむことにもなりかねません。正論は、相手を支配します。
ですから相手は、あなたのことを「自分を傷つける人間だ」と警戒します。
(中略)
だから、あなたの言う内容が、どんなに正しく、相手の利益になることでも、相手は耳を貸そうとしないのです。

(話すチカラをつくる本/山田ズーニー)

 マラソン大会でランナーに「がんばれー!」と声援を送ることについては、さすがにここまで考える必要はないとは思います。あっという間に通り過ぎていく選手にかけられる言葉は限られていますものね。

ただ、夫の話には、がんばれという言葉が正論の刃のような鋭さを持っていることを改めて考えさせられました。人を応援する、励ますというのは、気心の知れた間柄でない限り、想像以上に繊細なことなのかもしれません。


今度、走っている夫を沿道で応援する機会があったら、「疲れたら休んでね~」と呼びかけてみようかな。1人くらいそんな声援を送ってみてもいいですよね。

…すごく悪目立ちしそうですが。