声と言葉とワーキングマザー

司会の仕事、演劇、ITベンチャー勤務で学んだこと、WM生活を発信します。

クレームよりも怖いこと

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今の勤め先でのナレーション収録は、ナレーターであるわたしが直接お客さまとやりとりして納品することもあります。

はじめはこれがちょっといやでした。

わたしの場合、ナレーションのお仕事で、最終的にその音声を使うお客さま(エンドユーザー様)とお会いすることはあまりありませんでした。
たいていは制作会社のディレクターさんと一緒に収録して、お客さまとのやりとりはお任せしていました。

でも今の勤め先でわたしはナレーターとディレクターの2つの役割を果たしており、お客さまの問い合わせ対応から納品まで担当させていただきます。

なぜそれがいやだったかというと、もしわたしのナレーションがお気に召さなくてクレームになってしまったとき、私自身が対応しなくてはいけないかと思うと、憂鬱だったのです。
もちろんそんなことにならないよう全力を尽くしていますが、万が一、そんなことになったらどうしよう…と。


あれから数年。

もうずいぶんたくさんの案件を自分ひとりで対応させていただきましたが、クレームになってしまったものは、まだ一件もありません。

代わりに、お褒めの言葉は何回もいただくことができました。
いつも飛び跳ねたいくらいうれしいです。

お客さまはメールでやりとりしている相手(わたし)が録った音声だとわかっているので気を遣ってくださっているのかもしれませんが、そうだとしても、わざわざ一言付け加えてくださることに本当に感謝しています。


我ながら調子のいいもので、お客さまからお褒めの言葉をいただくことが続くと、はじめの頃の憂鬱な気持はすっかりなくなってしまいました。

もちろん今もクレームになったりしないよう努めていますし、もしなったらと思うと恐ろしいです。

でも、お客さまとコミュニケーションをとる機会が増え、思いがけず嬉しい反応をいただくうちに気づきました。

お褒めの言葉であっても、お叱りの言葉であっても、コミュニケーションをとるからこそいただけるのです。ナレーターであるわたし自身が直接やりとりさせていただいているからこそ、感想やご意見をいただく量が増えたのです。

ご満足いただけずお叱りを受けるかもしれないと恐れるあまり、コミュニケーションから逃げ、他のディレクターに任せていたら、お客さまはわざわざ伝えてはくれなかったかもしれません。


そうなったとして、お褒めの言葉をいただけないのはまだいいのです。

それよりも、万が一ご不満があったときにお叱りの言葉を伝えていただけないかもしれないことのほうが問題です。厳しいご指摘というのは発する側もエネルギーを使います。そんな面倒なことはせずただ黙っていたいという方のほうが多いのです。

わたしが一番恐ろしく思うべきなのは、お客さまと直接コミュニケーションをとることでいただくかもしれないクレームではなく、コミュニケーションをとらないことでわたしに届かないクレームです。

たとえ案件の最初から最後まで密にコミュニケーションをとっていたとしても、お客さまがどう思っているかというのは、本当のところはわかりません。
これまでにも浮かんでこなかっただけのご不満、お怒りはあったかもしれません。わたしにはそれを知るすべがありません。

 

わたしは、ご不満に気づくことができず、知らないうちに失望されることこそ恐れるべきです。

クレームもなくお客さまが去って行ってしまわれると、自分に何が足りなかったか、何が誤っていたのか、決してわからないままです。次にはつながらず、きっとまた同じことを繰り返すでしょう。


はじめの不安とはうらはらにうれしい反応をいただいたことで、反応をいただくこと自体の価値を考え直すことができました。

 

自分を守ることばかり考えて逃げなくてよかった。

 


年齢とともに、そして結婚して母になってからは特に、何事にも以前ほどは飛び込めない自分もいます。
慎重になったといえば聞こえはいいですが、及び腰になるな!と自分を叱るように奮い立たせなくてはいけないこともあります。

何がほんとうに怖いのかは、よく見極めないといけません。


通じたからこその痛みより、通じ合えないことによる痛みのほうがずっとつらく、後をひきます。

相手がお客さまであっても、上司であっても、同僚であっても、家族であっても。

昔からよく言われるように、
怒られるより怒られないことのほうがずっと怖いのです。