声と言葉とワーキングマザー

司会の仕事、演劇、ITベンチャー勤務で学んだこと、WM生活を発信します。

「虐待」ってさらりと使うのはやめませんか

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母として人間として未熟なわたしは、2歳の娘に対して怒りや苛立ちを抑えきれないときがあります。

あれは「いけないことを伝えるために叱った」じゃなくて「自分の気持ちをぶつけるために怒った」だったな…と、あとから自己嫌悪に陥ったことが何度もあります。

感情にまかせて怒っても事態は悪くなる一方です。
娘は泣く。わたしは自分自身の怒りに興奮する。修羅場(?!)は長引く…。

経験を重ねるうちにちょっとずつ自分の気持ちを整えやすくなってきてはいますが、
それでも怒ってしまうことがあると、娘に嫌われたらどうしよう、エスカレートしてついには虐待してしまったらどうしようと恐ろしくなり、いやそんなことにならないようにがんばろう、しっかり愛情を伝えようと気持ちを新たにする、の繰り返しです。


子供との関わりに悩むとき、
虐待、という言葉に後ろから見張られているような思いです。


痛ましいニュースを見聞きするたびに、自分はこんなことにならないようにしよう、と思います。とはいえ自分はそこまで行き過ぎたことはしないだろうと思っているのですが、

自分だけは例外という考えは危険だろうという認識もあり、
虐待という言葉に過敏になっているようです。


だからとても気になるのが、
「虐待」という言葉が意外とさらりと使われる場合があるということ。

 

ちょっと目を離すのも虐待。
危ないものを触ろうとしたときに手をたたくのも虐待。
家で子供と同じ部屋にいるのに仕事をするのも虐待。
歯磨きを嫌がる子を押さえつけるのも虐待。

これはすべてわたしが見聞きした例です。


痛ましい事例が後を絶たず他人事ではないと身を固くする母親に対して
あまりに厳しすぎないでしょうか。

言葉のあやなのか、何気なく大げさに言ってしまうのか、いつか本当の虐待に発展することを危惧した表現なのか、
いずれにしても受け手の母親を追い詰めるつもりはないのかもしれません。

でもわたしは、他人に「虐待」という言葉を投げかけられるのは苦痛です。

どうか、安易に「虐待」という言葉を使わないでもらいたいと願います。
それは虐待じゃないかと必要以上に追い詰めることは、虐待を無くすことにはつながらないはずです。


***

昨年度の児童相談所での児童虐待相談件数は10万件を超え、これまでで最多数となったそうです。

また、虐待による死亡事例は10年以上前から年間50件を超えて推移しており、1週間に1人の子供が命を落としているということになります。

厚生労働省Webサイト発表資料オレンジリボン運動公式サイトより)


1人でも多くの子供が虐待から救われることを心から願っています。

そして同時に、虐待してしまう親もまた、そのような精神状態になる前に1人でも多く救われますように。