声と言葉とワーキングマザー

司会の仕事、演劇、ITベンチャー勤務で学んだこと、WM生活を発信します。

わたしが切り取った「多様性」と、いつも思い出すウェスト夫人のこと

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蜘蛛も羽虫も人も訪れる皇居東御苑。


先日参加したワークショップ「毎日女性会議」では、

「多様性」をテーマとした写真や動画を制限時間内に撮ってくること

という課題に挑戦しました。

遅刻してしまったわたしの持ち時間は20分くらい。会場周辺で慌てて写真を撮ってきました。皇居東御苑の橋の前で、冒頭の1枚です。

たくさんの方が訪れる皇居。
実は人だけでなく、蜘蛛も、羽虫も、人間は見落としがちなたくさんの多様な命が存在している… というメッセージを込めた、つもりです。


会場の毎日新聞社があるビルとその周辺を歩きながら、あと20分で撮らなきゃ、多様性、多様性…とつぶやきながら考えていたのは、
梨木果歩さんのエッセイ「春になったら莓を摘みに」に登場する「ウェスト夫人」のことです。

ウェスト夫人は、多様性を受け容れることをほんとうに体現しているひと。
わたしは「多様性」について考えるとき必ずウェスト夫人のことを思い出します。

少し長いですが、引用させていただきます。
習慣や価値観の異なるとあるイスラム圏の家族と通じ合うことに苦労したエピソードの後に、作中の「私」が「ウェスト夫人」について語っている部分です。

 私たちはイスラームの人たちの内界を本当には知らない。分かってあげられない。しかし分かっていないことは分かっている。ウェスト夫人は私の見た限り、彼らを分かろうと聖人的な努力を払っていた、ということは決してなかった。彼らの食べ散らかした跡について、彼らのバスルームの使用法について、彼らの流す大音響の音楽について、いつも頭を抱え、ため息をつき、こぼしていた。自分が彼らを分からないことは分かっていた。好きではなかったがその存在は受け容れていた。
 理解はできないが受け容れる。ということを、観念上だけのものにしない、ということ。

(春になったら莓を摘みに/梨木果歩)

人間らしい感情を表に出しつつも、
誰に対しても誠実さをあきらめないウェスト夫人。
「理解はできないが、受け容れる」という生き方。それを観念上だけのものにしないということ。

何度も何度も読み返している本の1冊です。

 

蜘蛛も羽虫も、わたしにとってはできるだけ関わり合いになりたくない存在です。

せめて写真でくらいはぎりぎりまで近づいて(実際お堀に落ちないよう注意しなくてはいけませんでした)、苦手な虫への恐怖心はちょっと横に置いといてフォーカスすること自体、多様性に向き合うわたしなりのチャレンジでした。

写真という手段をとることで、頭のなかや文章で考えるのとは違った切り口からひろがっていく感覚がおもしろかったです。

異なる発信の手段…声、言葉、写真、動画…をとることでそれぞれが影響しあい、つながり、ぐるぐると螺旋を描きながら自分の発信する力の密度を増してゆけるのだといいなと思います。


ちなみに他の参加者の方は、インドネシアから日本語を学びに来た姉妹へのインタビュー、東京の建物の変遷、個性豊かなゴミ(可燃、不燃、ペットボトル…)、道路上の様々なメッセージ(運転者用、歩行者用、英語、日本語…)、などをテーマに動画や写真を発表していました。

みんなそれぞれ。
限られた時間だからこそその人のモノの見方がよく表れるのかもしれません。

講師の下村健一さんいわく、
「今日のみんなの作品を全部並べて一枚の画にしたら、きっとそれが一番多様性を表す作品になるね」
と。大作になりそう。想像するだけでおもしろいです。

もしあなたがこのワークショップに参加していたとしたら、
いまから20分で「多様性」をテーマにした写真を撮るとしたら、
何を切り取ってみますか?