司会をします!浦安市「大人の社会科」(堀潤さん、下村健一さん、安田菜津紀さん)
「大人の社会科 ~ジャーナリスト堀潤さんと学ぶモヤモヤの解決法~」
2016/6/25 講師:堀潤さん、司会:三木恵
身の回りに情報があふれる現代。
情報に振り回されたり、何が本当なのかわからないと感じたことはありませんか?
ニュースはいったい何を伝えているんだろう?
情報の本質を見抜くにはどうしたらいいんだろう?
ニュースの現場はどうなっているんだろう?
わたしは何をしたらいいんだろう?
第一線で活躍するジャーナリストのみなさんから「情報との付き合い方」を学ぶイベントで司会をさせていただくことになりました!
「ジャーナリストと学ぶ 大人の社会科」
vol.1「ニュースの言葉を知ろう」
1月21日(土)
講師:堀潤さん(8bitNews代表/元NHKアナウンサー)
vol.2「想像力のスイッチを入れよう~情報に踊らされないための、4つの<?>~」
2月25日(土)
講師:下村健一さん(慶應大学別招聘教授/元TBSアナウンサー)
vol.3「何が起きていて、何ができる?~被災地や中東を見つめてみよう~」
3月25日(土)
講師:安田菜津紀さん(フォトジャーナリスト/ニュースコメンテーター)
会場:浦安市堀江公民館
対象:浦安市在住の方
※詳細はこちら
このイベントを企画されている「MeToo情報発信室」編集長のはくのさんとは、動画による情報発信を学ぶワークショップ「毎日女性会議」の仲間です。
さらに講師のみなさんも「毎日女性会議」の講師でもある、というご縁から、司会を担当させていただくことになりました!
堀さん、下村さん、安田さん、みなさんとても魅力的で、マスメディアで大活躍されている方とは思えないほど(?!)親しみやすく、じっくりわかりやすいお話をしてくださいます。
浦安市民の方限定のイベントですが、興味がおありでしたらぜひお出かけくださいね。
vol.1(講師:堀さん)は申し込み締め切りを過ぎてしまいましたが、vol.2(下村さん)、vol.3(安田さん)は受付中です。
いっしょに情報について考える濃~い時間を過ごしましょう。
きっと「自分」が少し変わりますよ。
会場でお会いできたらとてもうれしいです(お声がけくださいね)!
***
昨年6月25日、今回のイベントの前身である「大人の社会科~ジャーナリスト堀潤さんと学ぶモヤモヤの解決法」でも司会をさせていただきました。
(「開会するときに三木さんがしゃべるとパッと会場の雰囲気が変わってさすがだと思いました」とご好評いただきました~。うれしい。)
そのときのようすをまとめた動画とテキストが市民ニュースサイト「8bitNews」に掲載されていますのでこちらもぜひご覧くださいね。
情報の見極め方についてや参加者からの質問への回答(元NHKアナの堀さんへ「NHKに受信料を払わなければいけないのはなぜ?」という質問も!)など、見ごたえのある記事です。
また、わたしが「毎日女性会議」で制作した動画もご紹介いただき、わたしが発信によって得たものについてお話しさせていただく時間もありました。(このあたりから)
堀さんにコメントを求められたとき。司会よりずっと緊張しました!
情報発信の一番の意義は「発信する目線をもつことで受信のスキルが上がること」と、堀さん。
動画に限らず、文章、会話など、日々の情報との関わり方に共通することですね。
今回のイベントでもきっと発信についてもふれられると思います!
※記事中の画像2枚は動画「堀潤さんと学ぶ大人の社会科」(撮影・編集:蔵原実花子さん)より
相づちが苦手な方におすすめしたい、「喋らない相づち」
人気ブロガーのモンズースーさんが書かれた、会話と相づちに関する記事を拝見しました。
魚住りえさんの雑誌連載「もっと愛される話し方」を読んで、相づちの難しさについて述べられていました。
元記事のマンガがかわいいのでぜひ見ていただきたいのですが、少し引用させていただくと、
・「機械的な相づち」を使ってしまう
・自分が相手に同じ相づちを連打されるといい気持ちはしないかも
・ちょうどいい相づちって難しい
といったところです。
たしかに、相づちって奥が深いですよね。
多すぎても少なすぎてもいけない。
同じ相づちばかりでなくバリエーションも必要。
で、そんなふうに意識しすぎると、話の内容が頭に入ってこなかったりして…。
わたしも相づちや聞く態度でたくさん失敗してきました。
子供の頃も含めですが、「聞いてるの?」「本当にわかってる?」と何度言われたことか…。
「ちゃんと聞いてるのに!!」と思ったものですが、相づちって、ただ打つだけじゃだめなんですよね。
「聞いてます」「わかってます」ということを「相手に伝えられて」初めて相づちとして意味があります。
とはいえ難しく考えるすぎると相づちに気を取られて肝心の話がわからなくなってしまいますから、
相づちが苦手だなーと感じる人は、まず単純に使える相づちのバリエーションを増やすのがよいです。
モンズースーさんも書かれてましたが、同じ相づちの連打は悪い印象を与えやすいです。
逆にいうと、バリエーションがあるだけで相手の印象はかなり違ってくるということです。
では、どうやって相づちのバリエーションを増やすのか?
わたしがおすすめしたいのは、「喋らない相づち」です。
あなたは使い慣れた相づちがいくつありますか?
「はい」
「そうなんですか」
「なるほど」
…の3つだとしましょうか。
これらを、喋らずに、目や口やうなづきで表現してみてください。
例えば、
「はい」…うなづく
「そうなんですか」…目を少し見開く
「なるほど」…軽くうなづきながら口を少しすぼめる(声に出さず「ほ~」と言うように)
といった感じです。
これだけで、バリエーションが倍になりました!
実はこれ、ラジオパーソナリティーとして1000回ほどインタビューをさせていただくうちに身につけた方法です。
ラジオやテレビのインタビューは、インタビュアーの相づちが入りすぎてはいけません。
インタビューされている人が喋るたびに「はい」「なるほど!」と相づちが入ったらうるさいですよね。
それで、インタビュー相手に「わたしはあなたの話を聞いていますよ」などと声を出さずに伝える表現を模索していったのです。
うなづく、目を開いたり閉じたりする、口の形、これだけで十分気持ちを伝えることができます。
さらに表情や手の動きにも気を配れば、無限の表現ができます。
まずは上に紹介したように3つほど、あなたが使いやすい「喋らない相づち」を考えてみてください。
はじめはやりにくいかもしれませんが、使っているうちに自分のものになっていきます。
きっとこれまでのように相づちに困ることがなくなっていきますよ。
「聞いてます」「わかってます」ということを「相手に伝えられて」初めて相づちとして意味がある
ということに補足しますと、
要は、話を聞くときは耳だけで聞いてはいけないということなんですよね。
「ちゃんと聞いてるの?」と言われてしまうのは、相づちが少ないだけでなく、無表情だったりして反応がないときです。
会話はキャッチボールといいますが、それは「声」をキャッチボールするということではありません。
考えや思いをキャッチボールするのです。
だから、相手から声を使って「考え」を投げられたら、まずそれを受け取ったことを表現しないといけないんですね。
声(相づち)はその手段のひとつにすぎず、動きや表情も活用して「聞く」=受け取ったと伝えることをしないといけません。
そのあとで、あなたの「考え」を投げる。
そういうキャッチボールです。
「喋らない相づち」というアイテムがふえると、キャッチボールがもっと楽しくなりますよ!
ら抜き言葉の何が悪い?
駆け出しラジオパーソナリティーの頃、インタビューさせていただいた方たち(主に50~60代の男性経営者の方が多かった)によく指摘されたものです。
「『ら』が足りないよ、プロなら気を付けないと。」
はずかしく思いながら、「見られる」「食べられる」など慎重に話していたら、今度は
「それって誰が?受け身なの?」
とからかわれたり…。
慎重すぎて言い方が不自然だったんでしょうね~。
ほんとおはずかしい。
(あ、生放送中のことじゃないですよ。
打ち合わせとか、お食事をご一緒したときとかの雑談でのことです。)
当時のわたしはら抜き言葉は「まちがった日本語だから使ってはいけない」と思っていました。
ですが今の私の考えは違います。
ら抜き言葉はまちがった日本語ではないし、使ってもかまわないと思っています。
ただし…、という条件付きではありますが。
ら抜き言葉について、毎日新聞にすばらしい記事が掲載されていました。
3人の専門家が言葉の本質を語っていらっしゃいます。
わたしが特に共感する部分を引用させていただきますね。
そもそも「正しい日本語」など存在しない。日本語は常に変化の過程にあり、基準となるべき指標はないからだ。
(金田一秀穂・杏林大教授)
「来られた」「見られた」などの言葉は、尊敬と可能のどちらを表すのか判断が難しいが、「ら」を抜けば混同がなくなる。ら抜きは日本語を使う多くの人が下した合理的な判断の一つなのだろう。
(永井愛・劇作家)
※強調筆者
まず、言葉を「正しい」「まちがってる」と断じることはできないという点です。
言葉は生きていて、どんどん変わっていくわけですから。
だからといってどんな言葉を使ってもいいのかというと、そうではありません。
美しい言葉、品のある言葉、正しく伝わる言葉、
よいものを追求することはとても大切です。
ただ、「美しい」「品のある」「正しく伝わる」、どれも時代によって変化するものだということを忘れてはいけません。
ではどうしたらいいのでしょうか?
そろそろら抜きが市民権を得てきたようだから、解禁!
…というのも、なにか違いますよね。
わたしの考えはこうです。
「ら抜きだろうとなんだろうと、伝えるという目的のために、意識的に言葉を使うこと。」
ら抜きに限った問題ではないんです。
上記の記事ではみなさんこのように述べられていました。
「正しい日本語」以上に僕が大切にしたいのは「言葉の本意を受け取る」ことだ。
(金田一秀穂・杏林大教授)
私たちは人の言葉の間違いをただす前に、自分がどういう言葉を使うかについて自覚的であるべきだ。
(永井愛・劇作家)
ただ、言葉は場を選ぶ。(中略)面接試験やお茶の会など公的な場面では、ら抜き言葉は控えた方がいいだろう。
逆に「絶対に『ら』を入れる」と気負い過ぎても、かえって場から浮いてしまう場合もある。そんな時はさりげなくら抜き言葉を使うのも、世の中を生きていく上でのたしなみと言えるだろう。
(梶原しげる・フリーアナウンサー)
※強調筆者
「ら」を入れるか入れないかは本質ではありません。
何を思って「ら」を入れるのか、何を思って「ら」を入れないのか、です。
ら抜きに強い抵抗を持つ方に向かって「あのお店ではすごくおいしいステーキが『食べれ』ますよ」と言ってしまうと、相手はおいしいステーキのことよりら抜きが気になってしまう恐れがある、ということです。
尊敬の「見られた」ではなく可能の「見られた」であると強調したいときには、あえて「見れた」と言って混乱を避けてもよいと思います。
伝わりさえすればなんでもいいと、言葉そのものを軽くみているわけではありません。
どんなに気を配った言い回しで「正しいとされる日本語」だとしても、伝わらなければただの音です。
伝えるという目的をもって、意思と責任のもとに使う。
その意識だけが言葉に命を吹き込み、すなわち言葉を大切にするということなのではないでしょうか。
見れる、食べれる、来れる、…
あなたは使いますか?
それは誰に向かって、どんなときに?
娘と食べる特別なみかん
言葉が上手でこちらの言うこともどんどん理解できるようになってきた娘。
そのぶん、ちょっと「ずるい」ところも出てきたようで…。
先日の夕食後、デザートのおみかんをいただくとき、こんなことがありました。
わたし「はなちゃん、ママと半分こしようね」
娘「うん!はんぶんこ、する」
娘はみかんが好きすぎていくらでも食べてしまうので、みかんが大きいとき、その日2個目のときは大人と半分こすることにしています。
いつもは大人がみかんを半分にするのですが…
娘「はなちゃんが、わけわけ するね!」
わたし「?うん、ありがとう~」
娘「…はい、まま!どーぞ!」
娘が手渡そうとするみかんは、「半分」ではなく「3房」…4分の1くらい。
わたし「あれ?ママの分少ないよ。半分ちょうだい」
あ~、これはわかってやってるな、という気がして、指摘してみました。
娘は、
娘「すくなくないよー、…ほら!」
と言って、わたしの分の3房から1房ちぎって自分の前に置き、残りの2房をわたしの前に置きました。
おいおい!
さらに減らしてるし!!
わたし「ちょっと、はなちゃん!ママの分少なすぎるよ。半分こだよ、もう少しちょうだい」
娘「だめー!こっちは はなちゃんの!はんぶんこ でしょ!」
…結局、娘がゆずらないので、その場はわたしが折れました。
うーん、今回のことはまだしも、お友達にずるをしたらどんなふうに注意するかは考えておいたほうがよさそうだなぁ、
なんて考えつつ2房のみかんを食べ終え、まだみかんを食べている娘を見つめていました。
すると…
娘「も~、まま、ひとくちだけだよ。
はい、はなちゃんの とくべつみかん」
そう言って自分のみかんから1房、「とくべつみかん」をくれたのです。
とくべつみかん…?
とくべつみかん!!
娘「まま、もうおこっちゃだめだよ?」
あくまでも「わたしはきちんと半分こしたのにママが怒ってるから仕方なく自分の分を分けてあげた」スタンスをくずさない娘でしたが、
「とくべつみかん」ですっかりほだされてしまったわたしは、最後の1房をおいしくいただいたのでした。
わたし「おいしいね」
娘「おいしいね!」
娘と食べるみかんは、たしかに特別な味がします。
噛まずに話すには?
「噛んでしまう」というのは、話し方に関する代表的な悩みのひとつです。
「噛まないようにするには」などで検索すると、滑舌をよくするトレーニングがいろいろヒットしますが、それをやって噛まなくなった人っているのでしょうか。
わたしは「噛まない」ために早口言葉などをするというのはあまりよい方法ではないと思っています。
早口言葉を毎日続けるなんてできますか?
飽きませんか…?(笑)
もちろんプロの喋り手を目指している方は、舌や唇の筋力トレーニングは必要です。
そうでない方でも、トレーニングして悪いことはありません。
でも、時間をかけて地味~にコツコツコツコツ続けて鍛えていくよりも、先におすすめしたいポイントがあるということです。
それは、
「話しながら自分の言葉を聞いて確認する」ことです。
自分がいま何を喋っているか、耳で確認しながら話しましょう。
できれば、自分の後ろにもう1人自分がいて、話している自分を客観的に見ているイメージを持ちます。
自分の斜め後ろに、守護霊のように、もう1人の自分を置いてみてください。
こうすることにより、落ち着いて話すことができ、スピードもゆっくりになり、噛まなくなります。
「噛んでしまう」原因の多くは、
・慌てている
・話すスピードが速すぎる
この2つです。
落ち着いてゆっくり話せば噛まなくなります。
話すスピードって、自分が思っているより、聞き手は速く感じているものです。
つまり、自分では「ゆっくりすぎる」と感じるくらいのスピードが、聞き手には「ちょうどいい」「おだやかでよい」と感じられることが多いんです。
ついでに強調したいところなど適当なタイミングで間もとりましょう。
たっぷり目に間をとって、しっかり息を吸ってから次の言葉を出せば、より噛まなくなるうえにメリハリのついた話し方になります。
やってみると、ゆっくり間をとりつつ喋ることに勇気がいるかもしれませんが、だからこそ、話し方がグレードアップするポイントなのです。
そもそも、「噛む」=「滑舌が悪い(舌や口の動きが悪い)」というのは誤りです。
滑舌の悪さは噛む原因のひとつにすぎません。
そして、「自分は滑舌が悪い」と思っている方のほとんどは、そんなに気にするほど滑舌が悪くないとわたしは思っています。
話を聞きにくくさせるのは滑舌の悪さによる多少の音の不明瞭さよりも、何度も言いよどむこと、すなわち噛むことです。
そして言いよどむ原因の多くは、緊張など精神的なものです。
頭には言葉が浮かんでいるのに口が追いつかないとか、
喋りたいことがあるのに言葉にならないとか、
どちらも滑舌の悪さは関係ないですよね。
落ち着いて、ゆっくり話す。これでずいぶんよくなります。
ちなみに…
アナウンサーや司会、役者など話すプロの方は、「3人目の自分」を置くともいいます。
話している自分(1人目)、話している自分を客観的に見る自分(2人目)、客観的に見ている自分を客観的に見ている自分(3人目)。
3人目はなかなか難しいですが、それくらい、「話している自分を客観的に見る」のは大切だという話なんですね。
「名前を覚えてもらえる自己紹介」の小さなコツ
あなたは人の名前を覚えるのが得意ですか?
1対1ならまだしも、一度に大勢の人と会ったときはどうでしょうか。
飲み会でも、ビジネスの集まりでも、習い事でも、
何人もの自己紹介を続けて聞いたけれど、結局ぜんぜん名前を覚えられなかった…
なんて経験、ありますよね。
それって逆に言うと、
あなたが自己紹介をしたときにも、誰にも覚えてもらっていないかもしれない、ということ!!
誰の印象にも残らない自己紹介、って、悲しいけど意味ないですよね…。
たまたま隣の席に座った人くらいには覚えてもらえるかもしれないけれど。
せっかく大人数の前で自己紹介をする機会があるなら、気の合いそうな人やお互いプラスになる関係を築ける人と繋がりたいですよね。
じゃあ、あなたが自己紹介をしたときに名前を憶えてもらうにはどうしたらいいんでしょう?
すぐに使える、本当に本当の始めの一歩、
それなのに意外とみんなやっていないコツがあります。
それは…
「最初に名前を言わないこと」!
自己紹介は「○○会社の三木です」のように会社名と名前から話し始めることが多いですよね。
でも、実はこれ、やめたほうがいいんです。
その理由は2つ!
1.周りの人の準備ができていない
2.あなたの準備ができていない
準備ってなんのこと?
自己紹介の内容はしっかり考えてあるけど…??
実は、自己紹介の内容以前に、ちょっとしたコツがあるんです!
ひとつずつみていきましょう。
1.周りの人の準備ができていない
周りの人=聞き手には、あなたの自己紹介を受け入れる準備が必要です。
何人もの自己紹介を聞き続けて疲れ始めているかもしれません。
前の人の自己紹介が退屈だったため、その場自体に興味が薄れているかもしれません。
人は自分が聞きたいこと、興味のあることしか聞いてくれません。
とにかくまず大事なのは、あなたに注目してもらうこと!
名前を憶えてもらいたいなら、聞き手があなたに注目していないうちに名前を言ってしまってはいけないのです。
2.あなたの準備ができていない
いくら自己紹介の内容を完璧に用意していたとしても、自己紹介を始めるその瞬間のあなたの身体は準備ができていません。
喋り出したら思っていたより声が小さかったり、のどがカラカラでうまく喋れなかったり、咳ばらいをしてしまったり…
喋り出しからきちんと通る声を出すのって、訓練された方でない限り、けっこう難しいんです。
そんな状態で、大事な情報である名前を言ってはもったいないですよね。
以上2つが、自己紹介で「最初に名前を言わないこと」をおすすめする理由です。
・相手の注目をひきつけて
・あなたの声の準備が整ってから
名前を言いましょう!
だからといって名乗る前に長々と喋るのも変ですから、名前の前に話すのは、挨拶やどこから来たかなどほんのひとことです。
「○○会社の三木です」ではなく、
「はじめまして。茨城県にある○○会社の三木です」のようにします。
普通ですよね!(笑)
自然にやっている方もいらっしゃいます。
ポイントは、言い方です。
名前が出てくるまで(「はじめまして。茨城県の○○会社の」)で聞き手の注目を集め、自分の声の大きさなど調子を確認、調整したいわけですよね(会社名も印象に残したいなら、「はじめまして」までで!)。
聞き手の注目を集めるもっとも簡単な方法は、「間をとること」です。
例えば、「はじめまして」をさわやかに言い切った後に少し間を置くと、聞き手は「おっ」と思って聞く態勢になってくれやすいです。
逆に、「はじめまして」から名前まで一息でぺらぺらぺら~っと流してしまってはまったく意味がないので注意!!
間をとったときに聞き手の反応をみて、聞こえてなさそうな人がいたらそのあとの声を大きくするなどの調整も行います。
話し始めに聞き手を意識することで、自己紹介全体を通して聞き手を意識して話せるという効果もありますよ。
聞き手の反応をみるというと難しく感じるかもしれませんが、その場にいる全員を見ることができなくても大丈夫です。
数人だけ、いえ、近くの1人と遠くの1人、あわせて2人だけでもいいです!
ぜひ意識してみてくださいね。
自己紹介は、名前を覚えてもらうなど印象を残さなければ意味がないのですから!
名乗った後はもちろん自己紹介の内容がものをいいますが、それについてはまたの機会に。
まずは始めが肝心なので、とっても簡単なこのコツ、ぜひ取り入れてみてくださいね。
ペラペラ喋れるあなた、本当に「話し上手」ですか?
話し上手、って、どういうことだと思いますか?
噛まずに喋れること?
声が大きくてよく通ること?
説明がわかりやすいこと?
どれもそうであるに越したことはありませんが、正解ではありません。
誤解されやすいことなのでもっと知ってもらいたいと常々思っているのですが、たまたまAudible(オーディブル、本を音声で楽しめるサービス)で聞いた本の前書き部分にも同じ趣旨のことが書かれていました。
「話し上手」の定義についてです。
「話す」ことは手段であって目的ではありません。
「話す」ことによって、聞き手に共感してもらう、何かアクションをとってもらうなどの目的があるはずです(ただ聞いてほしいだけのおしゃべりは別として…)。
つまり、話し上手というのは、
聞き手の心を動かし行動に繋げられる話し方ができる人
のことを指します。
そういう人はもちろん「話し上手」と評価されると思いますが、
聞き手がどうかは関係なくただペラペラ喋れることをもって話し上手と言ったりもしますよね。
逆に、滑舌が悪い人はそれだけで自分は話すのが下手だと思い込んでしまったり。
もったいない!!
ペラペラ喋れるだけで満足していては、それ以上話し上手になれません。
滑舌が悪いだけであきらめていては、可能性を無駄にしています。
もったいないー!!!
Audibleで聞いているのは『「上手な話し方」が自然と身につく45の法則」』という本です。
こちらでは以下のようにふれていました。
話し上手とは、目的を達成し効果を上げる話ができる人のことを言う。
セールスマンのなかには、立て板に水を流したように1人で
しゃべりまくっている人がいる。まったく反対に、
商品の説明もロクにできない人もいる。これは両者とも話し上手とは言えない。では、話し上手とはどのような人か。
人前でよどみなく自分の考えを話している、初対面の人と臆せず話す、
熱っぽく人を説得する、テキパキと部下に指示を与えている。このような光景を見ると
「この人は話し上手だな」と思う。たしかに話し上手には違いないが、
話し上手の判断基準は、もう一歩踏み込み効果を上げることができたかどうかを
最終的な物差しにしたい。(「上手な話し方」が自然と身につく45の法則/金井 英之)
ペラペラ喋れて、周囲にすごいねとほめられ、自分でも満足してしまっているばかりに、それ以上話し上手になれていない人というのをたくさん見かけます。
本当はもっともっと話し上手になれるのに、とてももったいないです。
逆に、「自分は滑舌が悪いから話し上手にはなれない」と思い込んでいる人もよく見かけます。
滑舌が悪くたって人の心を動かすことはできます。
滑舌の悪い芸能人も、滑舌の悪い政治家も、たくさんいますよね。
滑舌をよくするのが大切ではなく、話すことで何か効果をあげることが大切なのですから、滑舌の悪さをそんなに悩む必要はないのです。
こちらもとてももったいない。
(もちろん滑舌がいいに越したことはないし、訓練でよくすることもできますが)
滑舌や発声、発音、そういったことももちろん大事です。
でも、喋ることそのものを仕事にするのでない限り、ある程度以上の「美しい喋り」「流ちょうな喋り」を追求する必要はないと思います。
それよりも、自分はなんのために喋っているのかという「目的志向」、どうしたら相手の心に響くかという「相手目線」をよく考えたほうが、話し上手への近道です。
ちなみに、わたし自身のことでいえば、
「三木さんはさすがきれいな喋りですね」
と言われたときはドキッとします。
わたしの喋り、大丈夫だったかな?と心配になる、という意味でです。
「きれいな喋り」と思ってもらうことが一番の目的ではないからです。
「きれいなだけの喋り」になってしまってなかったか、注意深く振り返らなくてはいけません。
(ナレーションなどは「きれいな喋り」と思ってもらうことも重要な場合もあります。それに、きれいと評価していただくこと自体はとてもうれしいです!)
話すのが上手だね!と人に言われる方、
自分は話すのが下手だと思っている方、
本当にあなたは話し上手/下手ですか?
ちょっと振り返ってみると、気づきがあるかもしれませんよ。